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市議団の実績

2001年1月26日本会議山中智子議員の討論

大阪市学童保育条例の制定を

  私は、日本共産党大阪市会議員団を代表して、「大阪市学童保育条例案」に賛成の討論を行います。
 この条例案は、留守家庭児童すなわち保育に欠ける小学校就学児童を、健全に保護・育成することを目的とし、大阪市の責任で、そのための施設を設置し、指導員を配置して、運営することをうたったものです。
少子化対策が急がれ、同時に、男性も女性も、ともに人間らしく仕事も地域活動も子育ても、という男女共同参画社会づくりをめざしている今日、この学童保育条例の制定は、まさに時代の要請です。
この条例案は、地方自治法に基づく市民の直接請求運動の結果提出されました。たった1カ月という期限のなかで、法定有効署名数の約3.5倍にあたる14万1133人もの市民の署名が寄せられました。これだけ広範な市民が学童保育がこの30年以上にわたって果たしている役割を、高く評価しているのです。そして、大阪市にたいしては、留守家庭児童をはじめ、未来ある子どもたちをもっと大事にしてほしい、と迫っているのです。

 学童保育の歴史をひもとくと、わが国の学童保育発祥の地はこの大阪市です。学童保育というものが影も形もなかった頃、東住吉区の保育園の園長が卒園時の放課後を心配して始めたものが、日本で最初の学童保育でした。
 やがて、「働きつづけたい」という願いと、「子どもを健やかに育てたい」という願い、どちらも人間としてあたりまえの願いに突き動かされた親たちが、地域にビラをまき、自宅を開放し、ヤカンやゴザを持ち寄って、共同の学童保育をつくり始めました。
公園のかたすみで、一人でおやつを食べている鍵っ子がいた、そんなわが子に心でわびながら、それでも働かなくてはならないお母さんがいた、留守中の、火事や病気が心配で仕事が手につかないお父さんがいた、いつも自分と一緒にテレビを見て放課後を過ごす孫を心配するおばあちゃんがいた。旧大淀区で、留守家庭の子が自宅で火遊びをして、内職用のプラモデルに引火して窒息死した事故は、かけがえのない子どもの命とひきかえに、学童保育の必要性と切実さを親や社会に教えました。この実態のなかから、やむにやまれず学童保育をつくったのです。当時の保護者の方は「文字通りゼロからの出発だから、並大抵の苦労ではなかった。しかし、どんな苦労も乗り越え、学童保育をつくり守ることができたのは、そこに通う生き生きとした子どもの姿に支えられたからだ」と、語っておられます。
 この関係者の苦労からみた時、これまでの、大阪市の学童保育にたいする態度はあまりにも冷たいものでした。全国的に学童保育の必要性が高まるなか、地方自治体の責任で学童保育を設置・運営するところが相次ぎましたが、本市では、助成要綱をつくり、家賃や人件費にも満たない補助金を交付するのみで、学校の余裕教室さえ頑として貸さないという仕打ちのもとで、30数年にわたって、親たちは、高い保育料の負担に加え、バザーや物品販売に走り回って学童保育を守ってきました。指導員の皆さんも、人並みとは言いがたい給料で、所帯がもてない、食費を浮かすために毎日3食、インスタントラーメンの時もある、一人前の生活をしたいと思いながらも、学童っ子の親がわりなんだという熱意に支えられて、施設を守り、保護者の生活や思いによりそって働きつづけてきました。保育を学ぶことにつとめ、経験交流を重ねた指導員がいる学童保育で、けんかと仲直りを繰り返し、いろんな体験をして、学童っ子は優しさや強さを身につけてきたのです。
こうして、この30数年間に、どれだけたくさんの学童っ子が巣立って行ったことでしょうか。
本市において、学童保育が果たしてきた役割、果たしている役割の大きさは、感謝し、敬意を表して余りあるものです。この歩みと実践こそ、留守家庭児童対策の中心にすえて、強くしっかりとした光をあてることは当然ではありませんか!

 学童保育を、いつまでも親や指導員の涙ぐましい努力に頼っていていいはずはないのです。
 いま、役員はじめ保護者の苦労や疲労は限界に近いところへきています。年になんどもバザーをおこない、それでも、低学年なら約2万円もの保育料を払います。この保育料が払えずに、泣きながら学童保育をやめていく子もいます。お母さんと一緒に泣きながらやめていく友達を見送った3年生の女の子は「どうしてやめんとアカンの?学童に来たい子が来れないの」と家に帰って泣いたそうです。同級生をたずねて学童保育に遊びに来て「学童はお金がいるの?」と寂しそうに言う子は1人や2人じゃない、あの子らも学童に来させてやりたい、と指導員は語ります。
また、とりわけ大阪の住宅事情の中で、場所の確保は、保護者がその肩に背負うには、重すぎます。
都島の友渕学童は、賃借している公団から「目的外使用」として立ち退きを迫られていますが、市内有数のマンション群のため、かわる建物はありません。言うまでもなく多くの学童保育は、狭くて全員来たら遊べない、怪我や事故を常に心配しなければならない老朽・劣悪な施設での保育を余儀なくされています。
負担の重さをみても、場所確保の困難さをみても、今のわずかな助成のもとで、学童保育を運営することは、子どもと親と指導員にとって、あまりにも苦労が大きく理不尽というほかありません。だからこそ、大阪市など公的機関が、設置し、指導員を配置し、運営することを求めているのです。

1998年4月、児童福祉法が改正され、学童保育が放課後児童健全育成事業として、法制化されました。その後、全国的には学童保育は急増をつづけ、この間、1,349カ所も増えています。その多くが、市町村など公的団体の運営であり、学校の余裕教室や公的な施設で実施されている学童保育が約8割にのぼります。この全国の動きをみても、学童保育発祥の地である大阪市で、学童保育条例を制定し、本市が公的責任を果たすことは当然ではないでしょうか!
ところが大阪市は、ここ数年、「児童いきいき放課後事業」が留守家庭児童対策の趣旨を含んでいるなどと言いだして、学童保育にあたたかい手をさしのべない理由にしています。あろうことか、公団から立ち退きを迫られて窮地にある友渕学童や、隣にシンナー常用者がいて子どもの身に危険を感じて緊急避難先を求めた高殿学童にたいして、余裕教室を貸すことも、親身になって場所確保を援助することもせず、「いきいきに入所せよ」という、およそ信じられない対応さえしています。
 しかし、「児童いきいき放課後事業」が留守家庭児童対策にかわるものでないことは、委員会質疑のなかで、教育委員会が「平日のいきいきは、学校教育の一環であり、『おやつ』を出すことはできない」と明確に答弁したことでも明らかです。遊びざかり、育ちざかりの子どもらが、わけても、夕食がおそくなりがちな留守家庭の子が、おやつも食べず空腹をかかえてすごす。これが生活の場だとはとうてい言えません。生活の場ではない「児童いきいき放課後事業」を、留守家庭児童対策だと強弁することは絶対に認められません。
そもそも、「児童いきいき放課後事業」は、遊び場・遊び相手・遊び時間に不自由しがちな現代の大阪市の子どもが、放課後、小学校の施設をつかって、自由にのびのびと異年齢の子とも遊べるように、という趣旨でスタートしました。この「児童いきいき放課後事業」については、「兄弟のいない子どもにとってほんとうに有り難い」とか「いきいきに行っている間は安心」という声を聞きますし、今の大阪の子どもにとっては、大切な事業であり、「児童いきいき放課後事業」のいっそうの充実・発展に異をとなえるものではありません。
私たちは、「児童いきいき」の発展のためにも、「いきいき」と留守家庭児童対策とは別々に位置づけることを求めてやまないのです。教育と福祉とをごちゃまぜにしようとすることは、現場に無理と混乱をもたらします。今でさえ、「留守家庭を中心にした毎日来る層と、たまに来る程度の層とがあって、統一したプログラムが難しい」とか、「保護者代わりを引き受けた覚えはないのに、生活まで目配りをしろと言われて戸惑っている」とおっしゃる指導員がおられるほどです。「いきいき」に、無理矢理、留守家庭児童対策をもちこんではならないのです。
同時に、どんなに充実させても、「児童いきいき放課後事業」が、学童保育にとってかわることはできないのだということを、率直に認めることが、今もとめられているのです。
委員会でも一部紹介しましたが、学童保育の保護者の方から手紙をいただきました。
「0歳の時から保育所に預けて共働きをしてきました。小学校にあがる時、いきいきにしようか、学童保育にしようか迷いましたが、経済的な事情でいきいきを選びました。2学期に入り、『仲のいいお友だちが学童にいるから、どうしても学童に行きたい』とせがまれて、清水の舞台から飛び下りる思いで、学童保育に変わりました。
 いま子どもは『学童を知らなかった頃はいきいきがおもしろいと思っていたけど、学童に行ってからは学童のほうがメッチャおもしろい』と言います。『何が楽しいの?』とたずねると、ちょっと考えてから『いきいきは先生もかわる。お友だちも変わる。学童は、長い時間、同じ子と一緒にいるからかなあ、安心して何でも言える』と言いました。
 子どもにいきいきのことをたずねると、@着替えをしない Aおやつがない Bまず宿題をして、静かに本を読む時間があって、その後外遊びをする とその印象を答えました。子どもにとっては、いきいきは学校の延長線上のものという印象です。洋服・スケジュール・指導員などどれもが『学校』から離れられないのです。学童では、『ただいま』と帰り、『おかえりなさい』と指導員に迎えられ、私服に着替えた後、三々五々宿題をしたり、ボーっとしたり。子どもたちの意志を尊重することを第一にしています。昼間、親が家にいない子どもにとって、学校という言わば公の場から、第二の家とも言うべき「学童」に帰り、くつろげる意味は非常に大きいものだと思います。
 学童に通う子どもたち、学童が必要なのにいまは通っていない子どもたちが豊かな毎日をおくれるよう、どうぞよろしくお願いいたします」。こういう手紙です。
学校が子どもにとって緊張を強いる場所になっているといわれ始めて久しい今、共働きの親が、母子家庭、父子家庭の親が、子どものためによりよいものをと思えば、子どもがホッとできる場所、生活の場である学童保育を手離すわけにはいかないのです。授業を終えたわが子に、ただいま、と言って帰らせてやりたい、しんどい時はしんどいと、うれしい時はうれしいと、学校で嫌なことがあった時は「むかついた」と、家と同じように言える場を用意してやりたい。毎日くる仲間、毎日いる指導員、安心できる集団のなかで、昨日から今日、今日から明日を見通せる、つながりのある生活の場で放課後を過ごさせてやりたい。働く親の当たり前の願いではありませんか。
「児童いきいき放課後事業」と学童保育とは、スタートも目的も趣旨も対象児童もちがう!この事実をきちんと認めて、別々のものとして位置づけ、ともに発展させることこそあるべき姿です。「児童いきいき放課後事業」は教育の一環という本来の趣旨をいかして充実させる。留守家庭児童には、学童保育を条例化し、市の責任で安全で衛生な遊びと生活の場をちゃんと保障する。すべての子どもの健全育成のために、この道をすすむべきです。
 重ねて申し上げます。寄せられた14万の署名は、大阪市が総力をあげて子どもを守り、健全に育ててほしいという願いの結晶です。議員の皆さんが、偏見をもたず、この切実な思いにこたえて、ご賛同いただきまよう、心から呼びかけて、私の討論といたします。