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市議団の実績

「大阪市非核・無防備平和都市条例」を審議する臨時市会開会本会議

渡司考一議員が関市長に質問

渡司考一市会議員

2004年7月20日

 7月20日、「大阪市非核・無防備平和都市条例」を審議する臨時市会がひらかれ、関市長は、1995年に議決した「平和都市宣言」で平和の実現、非核3原則についての大阪市の姿勢や考え方を明らかにしている、国の見解では無防備地域宣言は国において行われるべきもので、地方公共団体は行うことができないとされていて、条例制定は地方自治法の規定に抵触するなどと、条例制定の必要性を否定する意見をのべました。

 その後、直接請求代表者の4人がそれぞれ意見陳述を行い、日本共産党の渡司考一議員が市長に質問しました。

  <渡司考一議員の市長質問>

 私は日本共産党大阪市会議員団を代表して、ただいま議題となっております議案第106号、「大阪市非核・無防備平和都市条例の制定について」に関して、關市長に質問いたします。

 条例案はその前文で「今日なお戦争が繰り返され、多くの尊い命が失われ、くらしや環境が破壊されている。戦争ほど人類にとって不幸な事はない」とのべておりますように「二度と戦争をしない」と決意し平和憲法をもつに至ったこの戦後の出発に思いをはせることが重要だと思います。言うまでもなく、アジア諸国への日本の侵略によってアジア全体で2000万人、日本国民310万人もの尊い命が奪われました。先ほどもお話がございましたが沖縄では、米軍の上陸で11万人が犠牲となり、さらに、広島・長崎には原爆が投下され、本市でも度重なる空襲によって31万戸の家屋が焼失倒壊し、1万人以上がなくなり110万人が罹災するなど筆舌につくしがたい惨劇となりました。

 また、同時に日本国憲法制定1年まえに結成された国連では「国際社会が認めた軍事行動以外は、世界から排除する」ことを国際社会の原則にして、平和のルールがきちんと守られる世界秩序をつくりあげようと「紛争の平和的解決」や「武力による威嚇又は武力の行使の禁止」などを盛り込んだ国連憲章が採択されました。まさに、この侵略戦争の痛苦の教訓と平和を希求する国際世論を背景として、平和憲法が制定されたのであります。憲法前文は「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し」とうたい、9条で、戦争はしない、軍備はもたないと定め、戦争をしないことを国づくりの基本路線としたのであります。

 1946年、憲法制定国会において当時の吉田総理は「戦争のない日本」を創造するとの決意を表明し、次のこの様に述べています。「日本国が列国に先立って、あるいは世界を率いて、平和愛好の平和的条約を現出せしむる、その魁になって、自ら戦争を放棄し、軍備を撤廃することに依って、世界の平和を事実ならしめる、その決意に基づいて政府はこの案を提出したわけであります」と強調しました。この発言には、国民全ての願いがこめられていたのであります。

 今回、約6万人の市民のみなさんがこうした戦争のない世界をもとめる流れのうえに立ち本市に条例制定の直接請求をされたものであります。市長はこの直接請求に寄せられた平和を願う市民の声を、どう受けとめておられるのか、まず最初にこの点をあらためてお聞きしたい。答弁をお願いいたします。

 第2に平和憲法、とりわけ戦争放棄を謳った第9条の今日的意義についてであります。

 今日、私たち大阪市民と日本国民の平和への願いに背いて、アメリカのいわゆる先制攻撃論によるアフガン戦争やイラク戦争と占領、「同盟国だからアメリカの戦争に参加する」と小泉政権による自衛隊のイラク派兵や多国籍軍参加など、世界と日本の平和をおびやかす重大な事態が進行し、こうした中で憲法の改定を競いあう議論がおきています。そのほこ先は、「戦争はしない」「軍備はもたない」ときめた憲法第9条にむけられているのであります。

 これまで、有事法制、イラク派兵法など、自衛隊を海外に派兵するため、いくつかの法律がつくられてきました。しかしそのどれもが、武力行使をするつまり戦争することは容認できなかったのであります。「海外で戦争はしない」、このことを建前にした憲法9条が“歯止め”になったからにほかなりません。「9条を変えよう」というこのねらいは、この“歯止め”を憲法からとりはらい、日本を米軍とともに「海外で戦争をする国」にしてしまうことにあります。

  こういう改憲論は、けっして日本国民のなかから起きたものではありません。イラク戦争のようなアメリカのひきおこす戦争に、憲法を変えてでも自衛隊を積極的に参加させよ、この要求が強まってきたからです。米政府のアーミテージ国務副長官らは、2000年に「(日本の憲法が)集団的自衛権を禁じていることが日米両国の同盟協力を制約している」という報告書を書いていますし、日本国憲法が1947年に施行された直後1948年から49年にかけて、アメリカ政府がつくった公文書には早くも“日本に軍隊を持たせるためには、憲法9条を変えさせる必要がある”という方向が打ち出されています。「憲法はアメリカから押しつけられた。だから改憲を」という人がいますが、歴史をみれば、改憲の主張と再軍備・増強こそ、アメリカから「押しつけ」られたものであります。 

  また、憲法9条は古くなったとする議論もありますがとんでもありません。あのアメリカ国内でも日本の憲法9条の理念を普及するために「第9条の会」ができたり、スペインでは「憲法9条の碑」が建てられるなど、いま、世界では憲法9条が大きな注目をあびています。2000年に国連でひらかれたNGOの会議では、すべての国の憲法に「日本国憲法9条に表現されている戦争放棄原則」を取り入れることが提案されました。さらに最近では、ヨーロッパ連合憲法を新しく制定するという動きの中で、イタリアの下院議会が「国際紛争を解決する手段としての戦争を否認する」ことをEU憲法に盛り込むべきだとの決議があげられています。日本国憲法第9条は時代遅れであるどころか、現に世界の範とされており平和のためのおおきな肯定的影響を与えています。

 またイラク開戦にさいして、アメリカの戦争に反対して全世界各国の600の都市で1000万人をこえる人々が集会やデモ行進に立ち上りました。これらを受けて国連加盟国の7割以上がイラク攻撃に反対し、フランスやドイツなど主要なアメリカ同盟国も開戦に最後まで反対するなど、歴史上空前の「平和のルール・国連憲章を守れ」という現実の国際的な大運動がおき、アメリカなどの戦争勢力は大きく孤立しました。東南アジア諸国はASEANの呼びかけで中国・インドをふくむアジア全域にまたがる友好協力条約が結ばれています。今日「戦争のない世界をつくれ」「平和の国際秩序をつくれ」と言う声こそ世界の多数派であり、世界を動かす本流であります。日本の憲法9条はそうした流れの中で今や現代的な大きな国際的意義をもっていると言わなければなりません。憲法9条を生かした平和外交をすすめることこそ、世界が日本に期待している役割であります。

 こうした憲法9条がもつ今日的な国際的意義について、市長はどう考えるのか、答弁を求めます。

  冒頭にものべましたように大阪市は先の第二次世界大戦においては、アメリカ軍による無差別爆撃の大規模な空襲を受け、壊滅的な被害をこうむりました。敗戦直後にひらかれた1945年10月の市会臨時会で当時の中井光次市長は「3月14日に大規模な焼夷弾攻撃を受け市の中枢部はわずか数時間をもって灰燼に帰したのであります。273万人の人口の半数近くが一朝にして家を焼かれ家財を失ったのでありまして、今更ながらその惨害の苛烈なるに慄然とする次第であります」とのべています。こうした悲惨な体験をもつ大阪市の市長として、二度と戦争はしない・戦争は起こさせないという日本国憲法と第9条の精神を、世界に広く普及する不断の努力をするべきではありませんか、答弁を求めます。

 次に本市の「平和都市宣言」と本市行政の関連についておたずね致します。

 平和への市民の願いをうけてこれまで大阪市会は、「世界平和を求める決議」、「大阪港の平和利用に関する決議」、「核実験に反対する決議」等、幾度となく議決を行い、また、広島・長崎に原子爆弾が投下されて50年という節目の年には、大阪市会の名で「大阪市が、平和と民主主義を希求した日本国憲法を遵守する平和都市である」ことを宣言しただけでなく、大阪市の名で「大阪市は、日本国憲法の基本理念である恒久平和と非核三原則を踏まえ、核兵器の速やかな廃絶を強く訴え、国際社会の平和と発展に貢献することを誓う」という「平和都市宣言」を行いました。

 市長の意見書ではこのような決議、宣言があるので条例化は必要ないとしています。しかし大阪市はこれらの決議・宣言をよそに核兵器を搭載可能なアメリカ艦船の大阪港入港をそのつど認めてきました。これでどうして、平和都市宣言の趣旨が生かされていると言えますか。アメリカ艦船の入港申請にあたってはせめて神戸市なみに「非核の証明」を求めるなど意見書でいう「本市の責務」を実行すべきと考えますが市長の答弁を求めます。

  次に本市の平和に関する施策、事業についてであります。

我が党は本議会開催に先立って大阪市の平和事業全般について資料要求しましたが独自の事業として提出されたのはピース大阪の事業が継続事業とされ、臨時的事業として平成15年度において国連の軍縮会議を招致したとの回答でありました。きわめて不十分だといわなければなりません。

 大阪市は本意見書の中で、大阪国際平和センター・ピースおおさかを開設し平和記念物の保存・展示などを通じて平和意識の普及宣伝に努めているなどとしています。ところがピースおおさか事業の補助金はこの10年間の間に最高1億5000万円から1億円にと、何と三分の二にも減らされており、その影響でピースおおさかの平和のための事業費は最高時の4分の1に減る事態もおきています。また私たちの毎年の要求にもかかわらず学芸員すら配置していません。ピース大阪が本市平和事業の代表的事業であるならばそれにふさわしい補助金を確保すべきであります。

 戦争被害を受けた大阪市民は、毎年、大阪大空襲を語る会を開き、京橋空襲被害者慰霊祭などが取り組まれ、市内各地では戦争展が開かれています。東京都は東京大空襲の悲惨な体験を風化させない、語り継ぐために、「3月10日を東京平和の日」とする「平和の日条例」を制定し、都として毎年、「平和の日記念式典」を行っています。大阪市は市民の平和に対する自主的な取り組みを支援するなど、平和に関する施策・事業について充実をはかるべきであると考えますが市長の答弁を願います。

  最後に本市の平和に関する施策・事業について条例化する問題であります。

 大阪市は、「平和都市宣言」において「日本国憲法の理念と非核三原則を踏まえ、国際社会の平和と発展に貢献すること」を誓っています。この誓いは、核兵器を大阪港に持ち込ませないという大阪港平和利用や、平和意識の普及や宣伝、平和のための国際交流事業においても、単なる謳い文句としてではなく、これらの実現のための不断の努力が伴わなければなりません。大阪市は「平和都市宣言」や平和に関する諸決議がより実効あるものとなるよう、宣言や決議の趣旨をふまえた平和への取組みを大阪市と市民が共同して一層推進していくためにも、かかる条例を制定し必要な予算措置をおこなうべきであります。市長の答弁を求めます。

 以上が私の質問でありますが、答弁のいかんによっては再質問することを申し上げて、質問を終わります。

  <渡司考一議員の市長への再質問>

 本市平和事業について、ピース大阪・唯一の独自平和事業でありますが、市長の意見書では世界平和に貢献するシンボル施設とされていますが、そうでない扱いがされていないという事を再度指摘しておきます。

 全体の予算との関連でいうと決算普通会計ベースでピース大阪の補助金が95年1億5200万円の時の本市総支出総額が1兆9千億円、これに対し2002年決算では補助金が1億1100万円で、同じく支出総額が1兆8千億円です。不況の影響などで予算総額が減るのは一般的にあるとしても比率でいうと支出総額が5%減であるのに対し、補助金の方は約30%減となっており、不当な扱いだといわなければなりません。

 本市の平和に関する施策、事業の中でいわば看板事業であるにもかかわらずこうした実態であります。これでは本市の責務がはたされているとは到底いえず、あらためて平和に関する施策、事業に対する予算の充実を求めるものです。再度答弁を願います。

  2つ目には条例制定の必要性についてであります。市長は平和都市宣言をおこなっているのであらためて平和の実現にむけた本市の責務や非核三原則の遵守について条例制定の必要はないという立場を表明されました。はたしてそうでしょうか? 全国でいくつかこうした問題について条例をもっている自治体があります。たとえば東京・三鷹市の「平和施策の推進に関する条例」では「三鷹市非核都市宣言の趣旨を踏まえ、平和の実現に努力していく決意をここに明らかにします。」とのべ条例制定の根拠が宣言にあることを述べています。

他都市の状況でいうと宣言があるからこそ、その具体化のために条例を設置しているわけで、宣言があるから条例は必要ないという議論は一般論としても全く通用しないという事を指摘しておきたい。

  今回大阪市は「平和的生存権」については憲法で確認されているから条例化は必要がない、としています。こうした態度と4年前のいわゆる「人権条例」制定時との本市対応の落差について述べておきたいと思います。当時我が党は「人権」については憲法できっちり確認されており条例化の必要はまったくなく、人権条例などを根拠として不公正乱脈な同和行政の継続につながるだけだと指摘しました。ところが大阪市は人権条例制定を強行しました。「人権」については憲法で確認されていても異常なほど熱心に条例化をする。一方で「平和的生存権」については憲法で確認されているから条例化は必要がないという。こうした態度では行政としての一貫性、整合性に欠けるという事を強調しておきたい。

  今回6万人余りの人たちが本市に平和への切なる願いを寄せられているわけで大阪市はこうした声に耳を傾け、ましてや先ほど指摘したように本市の平和に関する施策、事業はきわめて不十分でありますから大阪市と市民が共同して市としての責務を明確にしながら平和に対する取り組みを一層推進していくためにも条例化は必要だとかんがえますが再度答弁をもとめます。