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市議団の実績

同和行政の完全終結求める決議への下田敏人議員の賛成討論

下田敏人市会議員

2006年10月13日

 

 私は、日本共産党大阪市会議員団を代表して、議員提出議案第27号「地対財特法期限後の関連事業等の早急な見直しを求める決議案」に反対、議員提出議案第28号「同和行政の完全な終結を求める決議案」に賛成の討論を行いたいと思います。

 芦原病院の経営破綻や飛鳥会問題というものは、本市同和事業、同和行政がいかに解同の言うがままに、行政の主体性を投げ捨てて、乱脈の限りをつくしてきたか、白日の下にいたしました。

 1970年、解同の、行政の責任で基幹病院をつくれという同和対策事業にも何らオーソライズされていない、文字通りの法外な要求、圧力に屈して、府市同和地区医療センターと位置づけて以来、小さな一民間病院であった解同系病院、芦原病院に対して、周辺5000uもの土地を次々買収して、無償貸与してきたことに加え、新病院の建設費用、備品購入費用、管理運営費用に貸付金、都合、320億円もの膨大な公金が投入されてきました。そして、その揚句、貸付金等、138億円もの市民の税金が、コゲついてしまったのであります。

 又、飛鳥会問題の中心は、解同支部長・小西邦彦の強い圧力に屈して、当時の同対、民生局、土木局が鳩首相談をして、これまた、同和対策事業でも何でもない新大阪の高架下、西中島駐車場、秘密裏に、土木局が2260万円の建設費を出して、飛鳥会・小西邦彦にこれを運営させ、もって、32年間、実に50億円近い収益を得さしめて、事もあろうに暴力団に資金を流させると同時に、小西邦彦に膨大な蓄財をさせた、こういう点であります。

 いずれも、市民のためにこそ、公共の福祉の増進のためにこそ、使われるべき、言わば、貴重な公金であります。

 市長は、芦原病院に対する40億円もの不正な補助金支出、たったの2200万円を職員等からカンパさせて、市の収入に入れたのみであります。飛鳥会の問題にしても、不当利得の返還は法的にはむつかしいなどと、全くの及び腰であります。これでは、市民の理解は到底得られません。芦原病院、飛鳥会共、役員、個人に対しても、ほんのかっこつけではなくて、相応の損害賠償をきっぱりと求めるべきです。又、歴代の市長、環保局長、健福局長にも相応の負担を求めるべきです。強く指摘しておくものであります。

さて、かえりみるに、大阪市同和事業には、1969年の同特法施行以来30数年間に、1兆2千億円もの巨費が投じられてきました。

それまでの劣悪な生活環境は大きく改善され、同和行政の目的である格差が基本的に解消される一方、解同すなわち、市同促・地区協による窓口一本化の下で、一般地域とはかけはなれて立派な各種施設や学校、保育所などの建設をはじめ、ゆりかごから墓場までありとあらゆる個人給付的事業の実施、教職員などの加配、会館等へのおびただしい数の職員配置など、逆差別、逆格差を常態化させてきました。

ナニワの解放会館は36億円、同じく栄小学校は100億円もの巨費が投じられました。プラネタリウムから、現在児童210人でありますが、1000人収容の食堂まで完備いたしております。又、必要もないのに、膨大な土地建物を買収させられて、今だに放置されている土地が208か所13haにも及んでいるのであります。

しかも、これら巨額の建設土木工事が、同建協業者のみの指名競争入札によって独占発注されるなど、解同一部幹部の利権と腐敗の温床となってきたのであります。

それでは、何故、このようなことが長年まかり通ってきたのでありましょうか。それは、1969年3月の矢田事件に端を発するのであります。

市教組東南支部役員選挙の挨拶文書「進学のことや、同和のことなどで、遅くなること、あきらめなければならないのでしょうか」というこのくだりを差別文書と決め付けた解同が、差別文書ではないとした教員3名を朝の9時半頃、学校現場から無理矢理、拉致して、当時の矢田公民館に連れ込んで、翌朝3時前まで10数時間にわたって、最大200名を超える解同の支部員等が、糾弾監禁するという前代未聞の事件でありました。

後日、裁判所が、「差別文書と決め付けることは間違いであり、そういうことになれば、開かれた自由な雰囲気がなくなって、ついには、反対の理論ないし思想の存在、更には、その考えや思想に同調する人々の存在をも許さないという結果に陥ることになる」と判断を下すと同時に、解同幹部の監禁罪が確定したのでありますが、以来、解同が差別と言えば差別になる。解同の言うことは、全て正しくて、一切の批判を許さないという状況の中で、まさに、この解同の暴力的圧力に市当局が完全に屈服していくのであります。

こうした中で、部落問題の解決には、自由な意見交換が必要であって、そして、何よりも乱脈な事業を行うことは、差別解消に逆行することになると主張して頑張ってきた日本共産党大阪市会議員団に対して、解同の共産党議員を議会から除名しろとの圧力に屈して、当時与党各党は、こともあろうに、我が党の言動が部落差別の助長拡大をもたらすもので、深く反省すべきであるとの決議を強行したのであります。今日、いったい、どちらが反省すべきなのか、明瞭であると思います。

こうして、長期にわたって、乱脈不公正な同和事業、同和行政が続けられてきたのでありまして、市当局の責任は、言うに及ばず、これら全てに賛成し、一緒になって推進してきた自民、公明、民主、与党各党の責任は極めて重大であると申し上げておきたいと思います。

今、市当局は、市民の強い批判の中で、「地対財特法」失効後も続けてきた同和特別扱いの見直しに遅ればせながら着手いたしました。確かに、ふれあい人権住宅の名称の廃止や広く大阪市全体から募集をするなど評価すべきものもあります。

しかしながら、今日まで、本市同和行政を歪めてきた解同すなわち市同促、今、人権協会との癒着に根本からメスを入れるという肝心かなめの点にはふれておりません。特に、人権協会職員の雇用に配慮するなどとしていることは、断じて認めることはできません。人権協会の職員、大半解同の活動家ではありませんか。元々、就労対策だなんだといって、同和枠で多数の2号職員を採用した上、別途、、市同促地区協の事務局として、その人件費を保障し、法期限後も必要もないのに、委託事業をつくって、今なお204名も抱えているのであります。いつまで同和特別扱いを続けるつもりかと言わなくてはなりません。

しかも、見直すと言っても、委託事業では、13事業が来年度以降に先送りされた上、補助金、分担金についても、31事業のうち、廃止や廃止の検討などは11事業にすぎません。

又、旧同和金融公社への貸付金20億円余りは、現在、毎年、1000万円に満たない金額しか返却されておりません。今のままでは、200年もかかるにもかかわらず、今後も確実に返済を求めると言うのみであります。

ましてや、ほったらかしの208ヶ所13haもの未事業化土地は、いったいいつになったらきれいになるのか、全く判然といたしません。

これでどうして、市民の理解が得られるでありましょうか。とんでもないと言わなくてはなりませんが、与党の見直し決議案なるものは、まさに、これを追認するものでありまして、ここに来て、なお、まやかしに終始する、こりないにも程があると申し上げておきます。

与党の諸君は、これまでも、我が党が94年の3月議会以来、これまで11回も同和行政の終結を求める決議案を提出したにもかかわらず、7回は否決、4回はまやかしの対案を出して、一時不再議、事実上否決してまいりました。そうして、文字通り、同和行政の終結を遅らせて来たのであります。

今、あの芦原病院等の問題を通じて、長期にわたる同和タブー、解同タブーというものが、ようやくにして、払拭されようといたしております。これまで、地区内外を隔ててきた同和という垣根は、法的には既に取り払われております。文字通り、自由な社会的交流を促進して、問題解決に向け、大きく足を踏み出す時であります。そのためにも、これの障害となってきた解同、人権協会との関係を断ち切り、一切の同和特権、同和利権を排し、今なお人権行政の名で行 なわれている同和行政を完全に終わらせることだと思います。

本議会が市民の負託に応えて、議員提出議案第28号同和行政の完全な終結を求める決議案、是非とも採択すべきであることを申し上げて、以上、討論といたします。