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「サンフランシスコ市との姉妹都市提携解消の 撤回を求める決議(案)」 に対する山中議員の賛成討論(要旨)、及び決議(案)全文 |
山中智子市会議員 2017年12月12日 |
私は、日本共産党大阪市会議員団を代表して、議員提出議案第31号「サンフランシスコ市との姉妹都市提携解消を求める決議案」に反対、議員提出議案第32号「サンフランシスコ市との姉妹都市提携解消の撤回を求める決議案」に賛成の討論を行います。 吉村市長はサンフランシスコ市がいわゆる「慰安婦像」の寄贈を受け入れたことをもって、大阪市とサンフランシスコ市との信頼関係が損なわれたとして、1957年以来の姉妹都市提携を、この12月中にも解消する意向であることを表明されています。 吉村市長は「慰安婦像」に刻まれた碑文にクレームをつけて、「歴史研究者の間でも議論が分かれる慰安婦の数、旧日本軍の関与の度合い、損害の規模について不確かで一方的な主張」だ、などと繰り返していますが、この問題の本質は市長の言われているような点に果たしてあるのでしょうか。 1993年、当時の河野内閣官房長官の談話では、1991年12月から行ってきた政府による調査の結論として、旧日本軍の要請に基づいて「長期にかつ広範な地域にわたって、慰安所が設置され数多くの慰安婦が存在したことが認められた」こと、「慰安所における生活は強制的な状況の下での痛ましいものであった」こと等が、明らかにされたわけです。そして、これに加えて1991年から2001年までに、いわゆる「元従軍慰安婦」などから提訴された8件の損害賠償などを求めた裁判でも、河野談話と同様の事実認定が行われています。2003年に下された東京高裁の判決では、本件の背景事情のうち争いのない事実と証拠によれば、として「旧日本軍においては、1932年頃から終戦時まで広範な地域に慰安所が設置された」こと、「軍隊慰安婦の募集は・・業者らが甘言を弄し、あるいは詐欺、脅迫により本人たちの意思に反して集められることが多く、官憲がこれに加担する事例もみられた」こと、「業者と軍隊慰安婦の輸送について、特別に軍属に準じて渡航許可を与え、軍隊慰安婦に身分証明書の発給を行っていた」ことなどが述べられています。 ですから、このいわゆる「慰安所」は当時の軍当局の要請により設営され、「慰安所」の設置、管理及び「慰安婦」の移送についても、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与したもので、いわゆる「慰安婦」の出身地も日本を除けば朝鮮半島が大きな比重を占め、その多くは強制的に連行され、その生活も極めて屈辱的なものであったという、まさにこれらの点にこそ問題の本質があるということです。 河野談話のなかで、「我々はこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決してくり返さないという固い決意を改めて表明する」と述べていることは、当時の政府の代表としての、まことに真摯な態度として高く評価されてしかるべきだと思います。 吉村市長にも、ぜひ、この河野談話に示された姿勢について学んでいただきたいものだと思います。 そして、いま一つ付言すれば、ドイツの元大統領ヴァイツゼッカー氏が1985年、終戦40年を記念してナチスドイツの犯罪の歴史を直視するようドイツ国民に求めた議会演説の「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる」という有名な言葉です。大変教訓的ではないでしょうか。 しかも、今回のサンフランシスコ市の「慰安婦像」の受け入れは、女性に対する一切の組織的な性暴力を根絶しようとの思いの込められたものです。特に1998年、女性に対する組織的な性暴力を、時効の許されない「人道に対する罪」に位置付けた国際刑事裁判所の規程が採択されて以降の、女性の国際的な人権保障を求める気運の高まりやその流れに沿ったものに他なりません。 確かに歴史を改ざんしようとして、河野談話に攻撃の矛先を向けている国内の一部の勢力には鋭い批判であることに違いありませんが、だからと言って、市長の、日本や大阪市への批判であるとの主張の根拠とはなりえないことは言うまでもありません。 同時に、そもそも、世界の都市と日本の都市とのいわゆる姉妹都市提携は、文化や歴史、政治的な考えの違いを越えて、都市と都市、市民と市民の友好・親善の絆を結び、強めるとのお互いの意志の下に成り立つものではないでしょうか。にもかかわらず、今回のようにいわば政治的な考え方の違いを理由に解消しようとするなどということは、およそ、地方自治体の長のなすべきことではありません。 吉村市長には、270万市民の代表として、自らの独断によって、60年にも及ぶ両都市の友好、親善、交流の歴史を一瞬にして無に帰すことのないように、速やかに姉妹都市提携の解消は撤回されるよう申し上げ、討論といたします。 (日本共産党提案) サンフランシスコ市との姉妹都市提携解消の撤回を求める決議(案) 吉村市長は、サンフランシスコ市がいわゆる「慰安婦像」の寄贈を受け入れたことをもって、大阪市とサンフランシスコ市との信頼関係が損なわれたとして、1957年以来の姉妹都市提携を、この12月中にも解消する意向であることを表明した。 吉村市長は、碑文について「歴史研究者の間でも議論が分かれる慰安婦の数、旧日本軍の関与の度合い、被害の規模について、不確かで一方的な主張」だと繰り返すが、問題の本質は1993年の当時の河野内閣官房長官の談話にもある通り、旧日本軍の要請に基づき長期にかつ広範な地域にわたって「慰安所」が設置され、多くの場合、本人たちの意思に反して集められた数多くの「慰安婦」が存在したことであり、「慰安所」における生活は強制的な状況の下での痛ましいものであったということにある。しかも今回のサンフランシスコ市の「慰安婦像」の受け入れは、女性に対する一切の組織的な性暴力を根絶させようとの世界的な気運の高まりやその流れに沿ったものと理解すべきであって、日本や本市への批判だとする主張にはなんの根拠もない。そればかりか、むしろ吉村市長の主張は、歴史的な事実である「慰安婦」の存在すら否定するものと受け取られかねないものである。 同時に、そもそも姉妹都市提携は、様々な考えの違いを越えて、親善交流を強める意志の下に成り立つものであり、今回のような「政治的な考え方」の違いを理由に解消するなどということはおよそ考えられない。何より、60年にわたって営々と築いてきた両都市の文化交流や親善の「歴史」を一瞬にして無に帰すことにほかならない。 吉村市長は、自らの独断によってきわめて大きなマイナスの影響が発生することに鑑み、姉妹都市提携解消を撤回し、今後とも両都市の友好・親善・交流の諸事業を発展させるべきである。 以上、決議する。 |