「大阪市会情報公開条例」

与党原案 全会一致で可決 

党市議団が修正案瀬戸議員説明 

(しんぶん赤旗 2001年3月30日)

 大阪市議会の閉会本会議が29日開かれ、日本共産党議員団は、与党が提案した「大阪市会情報公開条例案」に対する修正案を提案しました。
 日本共産党の修正案を説明した瀬戸一正議員は、提案理由で情報公開の歴史と時代の流れをのべ、情報公開は自治体が本来の責務を果たしていくためになくてはならないもの、その内容も、議会情報を市民に公開するものでなくてはならないと指摘。日本共産党の修正案は憲法、地方自治法の示す方向、国民主権を保障する方向だと強調しました。
 瀬戸議員は、与党原案が随所に非公開的項目を並べていることを、時代の要請に合わなくなっていると批判。議会の役割は、行政の情報を収集しその内容の可否をチェックすることであり、豊かな情報を自らの活力としているとのべ、進んで主権者である市民に開示すべきだと主張しました。
 採択では、日本共産党議員団は与党原案に賛成し、全会一致で可決されました。

 

自ら情報公開に全力を上げる責任こそ市民の信頼を回復し負託に応える道

2001年3月28日 瀬戸一正議員が市会情報公開条例修正案を提案

 私は日本共産党大阪市会議員団を代表して、与党が提案された「大阪市会情報公開条例案」に対する修正案の内容と提案理由を申し上げます。

「知る権利」の正確を明確なものに

 修正案の詳細はお手元配布の書類に示しております。その主なものを申し上げます。
 第一に前文についてであります。原案で市民の知る権利を明記していることは評価するものでありますが、その「知る権利」の性格を明確なものにするために「日本国憲法の保障する基本的人権として」という文言を挿入しました。
 第二に第1条(目的)のところでは、原案の「地方自治の本旨」の文言の前に「日本国憲法が保障する」という文言を加えるとともに、「市民の知る権利を具体化するために」との文章を挿入しました。

非公開にすべき項目は例外的なものに

 第三に第7条(公文書の公開義務)についてであります。この条文は本条例案が議会情報公開への決意を具体的に表明する、まさに条例の核心部分であります。しかし与党の原案では8項目にわたって事細かに非公開事項が列挙されています。これでは非公開条例ではないかと勘違いされかねません。そこで我が党の修正案では個人と法人の公開すべき情報内容を明らかにしたうえで、非公開にすべき項目は例外的なものとして付記するという形式を取るように提案しています。これは、公開するか否かで請求側と情報提供側の意見が分かれた場合、情報公開審査委員会の判断があるのですから、最初から「あれもこれも非公開」と条例で決める必要はないと考えるからであります。第8条の(部分公開)についても同じ立場から原則公開、特例として部分的非公開を示すこととしました。
 第四に9条(公文書の存否に関する情報)は削除すべきものとしました。これは濫用されれば公開の目的を大きく損ないかねません。したがって、これも情報公開審査委員会の判断を待つべきものであります。
 第五に12条(公開決定等の期限の特例)についても削除すべきものとしました。それは第11条で期限を14日にし、加えて第2項で30日の期限延長を規定しているのですから、それ以上もの期限延長は情報の価値を失わせることになり、情報公開にはなじまないと考えるからです。
 第六に22条(情報公開審査委員会委員の人数)ですが、原案では3人以内となっています。しかし、公開請求件数が増加することも予想されることから、5人以内に増やすよう修正しました。 

説明責任(アカウンタビリティー)を果たすものへ

 第七に31条についてですが、原案では「議会の諸活動の公開」が謳われていますが、何をもって議会の諸活動というのか何も触れられていません。また与党原案の第1条にも、「市会の諸活動を市民に説明する責務が全うされるよう」と説明義務(アカゥンタビリティー)を明らかにしているのに、それらが具体化されていません。この弱点を補うために、修正案では「市会の諸活動」という文言の前に、「政務調査費や正副議長の交際費など議会の諸経費、市会事務局の事務事業、議会審議、その他」を挿入し、説明責任(アカウンタビリティー)を果たそうとするものであります。
 以上が主な修正内容であります。

情報公開は自治体が本来の責務を果たすためになくてはならないもの

次に、修正案を提出した我が党の立場を若干補足しておきます。
今日では、情報公開は時代の流れといわれるようになり、国会でも1999年に「情報公開法」が制定されました。これを契機に、全国ではあらたに条例づくりや従来の条例を改正する動きが活発になり、大阪市でも「大阪市公文書公開条例」が「大阪市情報公開条例」に改正され、そして今回大阪市会として初めて「議会情報公開条例」が上程されました。私はこの条例をより良いものにするためには、改めて情報公開のルーツを辿ってみることが大切だと考えます。
 我が国で、自由人権協会などが情報公開制度に向けて本格的に活動を開始したのは1976年のことであります。その後、地道な市民運動が全国に広がり、1982年に山形県金山町で全国初の情報公開条例ができ、翌年に神奈川県が条例化に踏み切る。そしてその後多くの自治体に広がり、情報公開法を国が制定する前の98年4月1日には、都道府県で47団体、市町村町では533団体にもなっていました。このことは情報公開が法律ができて全国に広がったのではなく、その主役は地方自治体と住民であったことを示しています。行政手続き条例や資産公開条例は国が法律をつくり、その後自治体に広がったのとくらべても、この点は顕著であります。そもそも地方政治は本来住民生活と密接な関係にあり、強弱の差はあったとしても行政への市民参加がなくてはならないものであり、その果実として地方政治から情報公開条例が誕生して行ったということであります。
 以上の情報公開の歴史と時代の流れを見れば、情報公開は自治体が本来の責務を果たして行くためになくてはならないものと言わなければなりません。またその内容は、できるだけの議会情報を市民に公開するものでなくてはなりません。我が党の修正案が「市民の知る権利を具体的に保障すること」の大切さを強調したのは、自治体がこの本来の役割を果たすためであります。さらにその発展方向は、憲法と地方自治法の示す方向、「国民主権」を保障する方向でなければなりません。
そういう立場からしますと、与党原案が第7条を初めとして随所で非公開的項目を並べていることは、この時代の要請に合わなくなっているのであります。
 議会は行政の情報を収集したうえで内容の可否をチェックする事が役割であり、豊かな情報を自らの活力としています。こういう立場からも、自らの情報を主権者である市民に開示することは進んで行うべきものであります。
私たちの大阪市会は、過去に公金詐取事件で市民の厳しい批判を受け、最近でも議員の入札妨害・収賄事件で議会の権威を失墜させてしまうという忌まわしい経験を二度も重ねています。こうした市民の信頼を失う事件の再発防止のためにも、又その決意の表明としても、自ら情報公開に全力を上げる責任があり、これこそが市民の信頼を回復し負託に応える道であると確信するものであります。
 修正案への議員各位のご同意を心から期待して、提案説明と致します。