title

人権協会とのなれあいをたちきり、同和行政の終結を

下田敏人議員が關淳一市長の姿勢をただす

下田敏人市会議員

2006年8月11日

大阪市議会の市政改革特別委員会が8月11日に開かれ、日本共産党の下田敏人議員が、芦原病院問題と同和行政の終結について關淳一市長をただしました。

 下田議員は、旧芦原病院に対し、補助金・貸付金320億円もの膨大な公金が投入されてきた経過について、1967年、市の衛生局に対し「解同」が援助の拡大を強く要求したことから始まったと指摘。その後、「同和地域の基幹病院にせよ」などと「解同」の要求が拡大し、それに大阪市が屈服してきたこと、こうした市の対応は国の同和特別法にも反する法的根拠のないものであったこと、芦原病院の1970年の決算書には、「解同」の浪速支部、西成支部にそれぞれ12万円を支出したことが記載されており、病院の役員はすべて「解同」の幹部で占められていたことなどを示し、市民の税金を投入しておこなうべき事業ではなかったと強調しました。

 また、第一期の病院拡大後の1974年、早くも経営難におちいったにもかかわらず、「解同」の強い要求で第二期の建設工事を強行。地域の医療ニーズとかけはなれた過剰な診療体制によっていっそう経営が悪化し、毎年、補助金・貸付金を投入するに至ったことを示し、市民に対するこれほどの背任行為はないときびしく批判しました。

 さらに、「市民病院に準じているから」と、大阪市が芦原病院への支援を合理化しているその当の市民病院に対する市一般会計繰り出し基準に照らしても、2億7000万円もの補助金を余分に支出していることを明らかにし、同和優先の誤りを浮き彫りにしました。そしてそのうえ、「解同」の隠れ蓑にすぎない大阪市同和事業促進協議会(市同促。現在は人権協会に衣替え)に同和事業を独占管理させてきたことに、ゆがんだ同和行政の原因があり、同和行政を見直すためには人権協会とのなれあいをたちきるべきだと強調しました。

 關淳一市長は、「市独自の考えで人権行政をすすめる決意だ」と答えました。