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御堂筋の高さ制限・景観がピンチ

都市再生の高さ制限緩和で経済活性化せず、住民要望に応えよ 

関根議員が愛日小学校跡地都市再生計画に反対主張

関根信次市会議員

2004年12月6日

 12月6日、大阪市都市計画審議会が開かれました。日本共産党の関根信次議員は大阪都市再生特別地区の変更(愛日小学校跡地都市再生計画)について、反対の意見を述べました。

関根議員は、@愛日小学校跡地という歴史的に意義があり、住民関係者からも大きな愛着のある公共用とを再開発に供するということの可否。再開発に供する場合のあり方の問題が問われていること。Aこの土地を都市再生特別地区にすることによって、御堂筋の伝統的な景観、街並の保存が壊されるという問題点について指摘しました。

御堂筋は大阪の目抜き通りとして1937年に完成し、この景観を守るため大阪市は沿道の建築物の高さ100尺(約31m)に制限してきた。その後、1995年(平成7年)に御堂筋の活性化を謳い文句に、土佐堀通りと中央大通りの間を外壁50m、10m後退物を60mの高さ制限に緩和した。今回、その一部である愛日小学校跡地の用地を都市再生特別地区にして、さらに高さ制限を緩和しようとするものです。

計画調整局は「淀屋橋地区は80m一体開発で、シュミレーションの結果、20m後退して70mにしても御堂筋の街並みに影響ないと判断した」と、一件づつ高さを緩和していくことを明らかにしました。

関根議員は「街の活性化という名の元に、従来の100尺から高さを変えて御堂筋活性化ができたか。地域の活性化は高さ制限を緩和することでなく、別の政策で臨むことが優先されるべきだ。まして、見通しない計画で市民の共有財産である御堂筋の景観をこわすというのは容認できない」と厳しく批判。

愛日小学校は、明治5年頃、明治政府が学校建設費を出しそうでない中で、土地を提供(山片区長)する人や、資金を提供する地元の努力で北浜学校、道修学校などができ、この二つの学校が明治19年に合併して愛日小学校ができたものです。

関根議員は、地元の愛日や船場、久宝寺連合振興会や、同窓会、愛日教育会、PTAなどの要望に答えているのか質しました。

立田課長は「平成2、3年の要望書は十分承知しているが、今は時代違うし、学校をほっておくわけにはいかない。基本的に反対でないと意見を貰っている」と応えました。

 関根議員は、今の経済状況の下、最低限の高さ制限を撤廃し、体積を増やし、機能強化して地域が答えられるのか。都市再生特別地区として権利床を売却、開発する計画には反対であると意見を述べました。

ある学識経験者からも「大阪市の誇るべき御堂筋。都市再生どう調整していくか課題。シュミレーションして調整可能だという事だが、御堂筋だけでなく、大阪市街地に超高層マンションが数多く建設され景観が変わってきている。景観法を制定して守るべきめざすべき景観を制定すべき。一件づつ審査には限界がある。大阪市として早急に方針をたててそれに基づいて対応すべき」という発言があり、数人の学識経験者は着席したままで賛成しませんでした。