南港ポートタウンに総合病院を

大阪市議会委 石川議員 早期建設求める

(しんぶん赤旗 2001年6月28日)

 大阪市議会民生保健委員会が27日開かれ、日本共産党の石川莞爾議員は、南港ポートタウンに総合病院をつくる会から提出された、「南港ポートタウンに総合病院建設を求める陳情書」の採択を求めて質疑しました。
 南港ポートタウンの街は、10,000世帯30,000人が暮らし、昼間人口も10万人を超えています。陳情書は、大阪市が1977年にベット数百十床の病院建設を「市医療審議会」で決定したにもかかわらず、いまだに病院建設はされず、夜間、深夜は無医村といえる状態と指摘。総合病院の早期建設を求めています。
 石川議員は、市域の病床が過剰になっていることを総合病院が建設できない理由にあげているが、事実や実態に照らして、南港地区を含むベイエリアの医療体制について必要な計画を立てるのは当然だと指摘。

 地域住民との交渉のなかで、国は、南港ポートタウン地域に病院を建設する決断と裁量は大阪府にあると回答していると紹介し、実現する方向で大阪府に働きかけるよう強く求めました。
 石川議員は、救急車の現場から病院までの搬送時間が、市平均が6.7分に対して住之江消防隊の南港隊では、12.4分かかっており、深刻な事態だと指摘。夜間の救急医療体制も含めて改善が必要だと、陳情書の採択を強く求めました。
 自民、公明、民主・民友の「与党」の多数で「引き続き審査」扱いとなりました。


議会 日時 付託委員会 請願・陳情名 質問者  各会派の態度
共産 自民 公明 民民 無所属
6月市会
6.27 民保 南港ポートタウンに総合病院建設を求める陳情書 石川
○…採 択  △…継 続  ×…不採択  ▲…一時不再議  ■…審査不要  −…予算関連案件
共産…日本共産党  自民…自由民主党  公明…公明党  民民…民主・民友大阪市会議員団  無所属
財総…財政総務委員会  文経…文教経済委員会  民保…民生保健委員
計消…計画消防委員会  建港…建設港湾委員会  交水…交通水道委員会
南港ポートタウン病院問題経過
項目 内容
1973年6月 マスタープラン構想 総合病院(200床)敷地面積8,400u(含む看護婦宿舎)
1977年



    2月
ポートタウン入居開始  
大阪府医師会からの提案 経営主体=公立又は公的病院の性格が保てるもの。規模=110床(敷地約2,000u)。診療項目=内科、小児科、外科、産婦人科
第8回医療審議会 上記内容承認
1986年 大阪市医療審議会 「市立病院の新しい医療体制のあり方」答申
要旨=現有病床を越えない範囲において、新病院の建設や既存病院の再建・整備。
1987年10月 対市長宛要望書 ポートタウン4連合町会長名で「総合病院整備要望書」
1988年3月 対市長宛要望書 住之江区地域整備懇話会(市会、府会議員で構成)「南港地区総合病院設立要望書」
1988年5月

    6月

    7月

府保健医療計画 大阪府より保健医療計画が発表されて、大阪府下では病院の新設及増床は不認となる。
住之江医師会 対市長宛、住之江医師会「病院についての大阪市の方針」
ふれあいトーク 対市長宛、海の町連合町会長及区医師会長(ふれあいトークで)「総合病院建設」
市長、住之江区での「ふれあいトーク」で(総合病院の)建設は無理と表明
1990年 署名請願(市会議長宛) 住之江区学童保育連絡会「夜間診療体制のある総合病院の建設」
署名請願(市会議長宛) ポートタウンの医療を良くする会 滝本昌子氏「総合病院の建設」
1991年 要望書(対局長宛) 太陽連合町会長金苅房次氏「総合病院の建設」
夜間応急診療所の設置  
要望書(対市長宛) 新日本婦人の会大阪府本部会長 樋口多津子氏「総合病院の建設」
1993年 要望書(対市長・区長宛) 日本共産党住之江区委員会「夜間も診療可能な総合病院の建設」
2000年 陳情書(対市会議長宛) 南港ポートタウンに総合病院をつくる会「南港ポートタウンに総合病院建設を求める」